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小説「呪われた女」 月竜香: □第一章
  
目次 第一章 第二章 第三章

【第一章】その女性との出会い

 名古屋に住んでいる月竜香は、MROの生放送に出演するために毎週特急しらさぎに乗って金沢に通っていました。
 その日もいつもと変わらず、竜香は女性週刊誌を流し読みしながら発車を待っていました。そんな竜香の目に一人の女性が飛び込んできました。それが香川志津代という盲目の女性だったのです。
 志津代は高校二年生の次女に手を引かれ、しらさぎの5号車に乗り込みました。
「お母さん、向こうに着いたら降りたホームで待っていればいいからね。そしたら達夫さんが迎えに来てくれるから。気をつけてね。行ってらっしゃい」
 志津代は四十二歳にしては若く、艶っぽい女性でした。黒地の留袖が華美な花模様を一層ひき立て、同時に志津代の色の白さも際立たせました。形の良い唇に鼻筋の通った細面の顔立ちは、育ちの良さをうかがわせ美人の条件を十分に満たしていましたが、その表情は寂しく悲しいものでした。
 竜香は彼女が電車に乗り込んだ時から、彼女のことが気になって仕方ありませんでした。彼女から何か尋常ではないものを感じ取っていたのです。不躾に彼女を見ていると、目が普通ではないことに気がつきました。そして思わず、声をかけていたのです。
「奥さん、見ず知らずの私が大変失礼なことをお尋ねしますが、あなたは目がご不自由なのですね」
「えっ?」
 志津代はいきなり声をかけられ驚いた様子でした。
「ごめんなさい、驚かせちゃったかしら? 私、月竜香といいます」
「ええ……」
「私、金沢まで行くんですけど、奥さんはどちらまで?」
「福井です」
「よろしかったら退屈しのぎにお話でもしていきませんか? 旅は道連れともいうでしょう」
「はあ……」
 志津代は正直、気が進みませんでした。赤の他人にどんどん話しかけられ、戸惑いを隠し切れませんでした。また、どのような意図で竜香が話し掛けてくるのかも、分かりませんでした。ただの同情ならまっぴらなのです。そんな彼女の気持ちもよそに、竜香は質問を続けます。
「生まれたときから見えなかったのですか?」
「いえ、10年前からです」
「ああ、そうでしたか。お気の毒に」
「どうして私のことをそんなに聞くのですか?」
「実は私、霊感師なんです」
「えっ? 霊感師って占いの?」
「そうです。それで私、奥さんを一目見た時から、目のあたりに恐ろしいものを感じたんです。あなたの失明は誰かの恨みによるものではないかと……」
「えっ? 恨み?」
 志津代は竜香の思いもよらない発言に、驚きを隠せませんでした。しかし、竜香は志津代の驚きをよそに続けました。
「あなたの目のあたりに、殺気というか……何かとても恐いものを感じるんです。私が思うに、あなたの失明は、誰かの恨みを受けたのが原因だと思われてならないんです。特に男性の……」
 30分ほど前に電車で会っただけの人から思いもよらない事を言われ、志津代は戸惑いました。と同時に、竜香に対して怒りやうさんくささを感じずにはいられませんでした。志津代は少し強めの口調で聞き返します。
「誰かの恨みで、それも男性からの恨みで見えなくなっただなんて、一体何を根拠におっしゃるんですか? いいかげんなことを言って、他人を混乱させるだけならやめてください」
 しかし、竜香は毅然とした態度で応えました。
「それは私の霊感です。あなたの目のあたりに、誰かの怨念のようなものを感じるんです。それからあなたは今、大変に悩んでいるでしょう? おそらくご主人とうまくいってないんじゃありませんか?」
 志津代は今の悩みまでズバリと言い当てられ、言葉を失いました。竜香は落ち着いた口調で続けます。
「こうして同じ電車に乗り合わせたのも、何かの縁でしょう。戸惑う気持ちは分かりますが、あなたの今までの人生を私にありのままに話してくだされば、私なりに何かお役に立てるかもしれません。失明した原因が分かるかもしれないし」
 志津代は竜香に対しての不信感は薄れつつあったものの、自分の人生をありのままに話すことには抵抗がありました。
「そんな……私の身の上話なんて、恥ずかしくて、とても他人様にお話できるようなものじゃないんです」
「誰にだって、失敗も苦労も取り返しのつかない過去もあるものですよ。何も恥ずかしいことはないですよ。奥さんが何かとても重い過去を抱えているということは、直感でわかりました。でも、それをずっと引きずって生きていくのは良くないですよ。乗り越えて、明日に希望を持って生きていきましょうよ」
 竜香の力強い言葉に、志津代は今までひた隠しにしてきた自分の過去を、この人になら吐き出してもいいような、そんな気持ちになっていきました。
「うちは母の時代から複雑な家庭事情がありましたの……」
「よろしかったら、お話してくださいます?」
「ええ……」
 それから志津代は何かに取りつかれたように、静かに語り始めました。

◆           ◆

「私の母は若いころ、多治見の資産家の女中をしていたんですが、のちにその資産家に好かれて、「めかけ」になったのです。それだけならよくある話なのかもしれません。しかしあるとき母はその資産家の息子に体を奪われて、子供まで宿してしまったんです。それを知った資産家は驚き、その償いに相当なお金をくれたそうです。結局、母をその家に置いておくわけにはいかなくなり、主人は当時そこの出入りしていた大工の親方に事情を話し、生まれた子供はその親方に引き取られたそうなんです」
「お母さんも、大変つらい目に遭われて……ご苦労なさったんですね」
 竜香は心から同情しました。しかしそれは、これから志津代が告白する苦労話の、ほんの一部にしか過ぎなかったのです。
「生まれた子供は大工の親方に引きとられ、母は親方の知りあいだった父と結婚したんです。それから私たち女ばかり3人が生まれたんです。私は次女です。私たち3姉妹には、種違いの兄がいることになります。親方には本当に良くしてもらったようで、家も建ててもらいました。それにしても、母は苦労が絶えない人だったんです。恩人である大工の親方との仲が誤解され、あらぬ噂が立ち、町中に広がったんです」 
「へえ、そうなんですか。お母さんの産んだ赤ちゃんを引き取られたことが、誤解のもとになったのかもしれませんね」
「それで父と母は居たたまれなくなって、せっかく建ててもらった家も売り払い、岐阜県の美濃市に移ったんです。たしか、私が3歳の時のことだったと思います」
「本当にご苦労なさったんですねえ、お母様は……。それで、美濃市に移ってからの生活はどんな風でした?」
「母は父との結婚後も、あの資産家からたくさんのお金をもらっていたらしくて、それを元手に高利貸しをしていました。本当に、ずいぶん多額な慰謝料をもらっていたんだと思います。そんな風だから、父は働かずに遊んでばかりで……結局、裕福な暮らしとはいえませんでした」
「あなた達姉妹はどうでしたの?」
「ええ、そんな中でも私達は3人とも順調に育ちまして、高校へも進学したんです。姉と妹は短大へも進学したんです。姉は一番器量が良くて、静岡の由緒ある家へ嫁いでいきました。妹もなかなか人気があって、養子をもらって母の後を継ぎました」
 ぺらぺらと喋る志津代だったが、自分のことは一言も口にしませんでした。
「あなたはどうだったんですか?」
 竜香が志津代のことを尋ねました。
「ええ……」
 志津代は少しためらってから、口を開きました。
「私たち姉妹は、わりと街の男性から注目されてはいたんですけど、私は内気な性格ですし、姉や妹とは違って男の人にはあまり興味がなかったんです」
 竜香は志津代のことをまぶしそうに見つめながら言いました。
「奥さん、とてもおきれいですもの。お姉さんや妹さんもさぞかし美人なんでしょうね」
 志津代ははにかんで首を振りながらこたえます。
「とんでもない。姉や妹は確かに男受けのする雰囲気があったんですけど、私なんか……。男の人と一緒にいるより、川辺に座り込んで文学雑誌や、明治・大正時代の名作を読んで過ごすことのほうが多かったんです」
「まあ、文学少女だったんですね」
「ええ……まあ……」
「でも奥さんほどの美人を、周囲の男性は放っておかなかったんじゃないですか?」
 一瞬、志津代は言葉に詰まった。それから意を決したように、再び話し始めた。
「私には母が決めたいいなずけがいたんです」
 その一言を聞いたとたん、竜香にはピンとくるものがありました。
〜志津代さんを呪っているのは、この男だ〜 

◆           ◆

「そのいいなずけというのは?」
 竜香が詳しく聞き出そうとします。 
「私が14〜15歳のときから、母がひそかに町の大地主の息子さんを養子として迎える約束をしていたんです。母はおそらく、親の莫大な財産を相続することになるその息子さんと私を一緒にすれば、いずれ遺産が…と考えたのかもしれないんです」
「よくある話ですね」
「ええ、私が20歳の時、初めて母から婚約者の話を聞かされたんです。私は自分なりに結婚に夢を抱いていましたし、すでに相手が決まっているだなんて聞いた時はびっくりしたんです」
 志津代は眉間にしわを寄せながら、つぶやきました。
「その時から、私の人生が狂い始めたのかもしれません」
「その人のお名前は?」
「いいなずけは、新藤勇太郎といいました。でも、私……その人のこと、どうしても好きになれなかったんです」
 竜香の視線が、鋭く志津代に注がれました。そうして、はっきりと言いました。
「あなたを恨んでいるのは、その新藤という男だわ! 間違いないわ!」
 思いがけない竜香の言葉に、志津代はしばらく言葉も失いました。そうして、こわごわと竜香に尋ねたのです。
「じゃあ、私が失明したのは新藤さんが原因なんですか? 私の失明に、彼が関係するんですか?」
 竜香は落ち着いた口調で答えます。
「そうだと思います。ですから、あなたと新藤勇太郎という男のいきさつを、くわしくお話してくれませんか?」
 戸惑いを隠せない志津代に対して、竜香が優しく言葉をかけます。それにうながされるように、志津代は口を開きました。
「ええ……彼はいつもいやらしい目つきで私を見ていたんです。私は、それが嫌で嫌で……彼の目線にはむしずが走るような思いをしていたんです。ああ……今思い出しても気持ちが悪くなります。ええ……」
「へえ、じゃあその人のことはよっぽど嫌いだったんですねえ」
「そうなんです。私は初対面の時から彼を避けていました。できるだけ会わないように、会わないようにとしていたんです。でも、あるとき彼は言葉巧みに、私を彼の自宅へ誘ったんです。うかつについて行った私もバカだったと思います。彼は、二人っきりになると、いいなずけという関係を理由に、いきなり私に迫ってきたんです……」
 志津代は今思い出してもおぞましいという風に語ります。
「じゃあ、体を許したんですか?」
 竜香は歯に衣を着せずに問います。もちろん、それはただの興味本位からではありません。志津代を救いたい、そんな霊感師の使命のようなものからだったんでしょう。
「いえ、いきなり抱きつかれて、不意を突かれた私は必死で抵抗しました。でも、大柄の男性には力で勝つことは到底無理でした。たちまち畳の上に押し倒されて、ズボンをおろした彼は、私のスカートをまくり上げて、私の上に力づくでのしかかってきて……強姦寸前でした。私はいくらいいなずけでも、嫌いな男に体を許したくはなかったんです。無我夢中で‘やめてー’と、大声で叫びました」
 志津代は忌まわしい過去を思い出し、眉間にしわを寄せました。
「まあ、恐かったでしょうに……」
「ええ、それはとても……。今、思い出しても震えてしまいます」
 志津代は顔を両手で覆いました。竜香は志津代の足が震えているのを見逃しませんでした。
「でも、何とか助かりました。私の悲鳴を聞きつけて、お手伝いさんが廊下を走ってくる音が聞こえたんです。彼は慌てて飛びのきました。私は、そのすきに家から飛び出して、わき目もふらず川の堤防まで走り逃げたんです」
「危ないところでしたね」
「ええ……」
 しばしの沈黙の後、ふと、志津代は竜香の方に顔を向けました。
「月竜香さんとおっしゃいましたね」
「はい」
「月さんは結婚していらっしゃるんですか?」
「ええ、そうです。子供もいますよ。男の子と女の子が一人ずつ。まだ学校へ通ってますけど」
「あっ、そうなんですか。占い師の方って、独身でいらっしゃるんだってイメージが強かったんです」
「そうなのかもしれないですね。でも、結婚もいいものですよ。人の人生相談をしてお金をいただいている身としては、やはり人並みの生活をすることも必要だと思うんです。神秘的さも必要な要素なのかもしれないですけど、やっぱり一女性として、男を愛したり、子供を産む喜びを味わったりすることも大切だと考えていますから」
 占い師というものは、とかく自分のプライベートは話さない人が多いのに対して、意外にも普通の生活をしている竜香に、志津代は好感を抱きました。
「いろいろ失礼なことをお聞きしてしまうかもしれませんが……」
「ええ、何でも聞いてください」
「月さんはおいくつでいらっしゃるんですか?」
「四十半ばです。ちょっと結婚は遅かったんですけど」
「じゃ、私と同じくらいなのかしら? 私、43ですもの」
 何でも臆せず答える竜香に、志津代はだんだんと心を開き、自分の年齢までもを素直に口にするほどでした。
 竜香は志津代を見ながら言います。
「まあ、私と同じ年だなんて、とても見えないですよ。私よりずっと若く見えるわ」
 志津代は照れながら、手を左右に振って否定します。
 そこでやんわりと竜香は聞きます。
「さっきのお話ですけど、そんなことがあったいいなづけの新藤さんとの関係はどうなったんです? うまくいくはずもないでしょうに」
 志津代は、過去をたどるような目をしました。
「ええ、それからというもの、私の地獄のような生活が始まったんです。母はなぜ、私に一言の相談もしないで、あんな野獣のような男をいいなずけに決めたのかしら? あんな暴力的な行為は、絶対に許せない。男って、みんなあんな風に女を征服するのかしら? 結婚するまで体を許さないのは、私の信念のようなものでした。今から思えば、私も純情だったんですねえ……」
 志津代はいくらか饒舌になっていましたが、その一言一言には重みがありました。
「いくら財産家の息子だからって、あんな汚らわしい男となんて、一緒になれるはずもないじゃないですか。もう二度とあんな男と顔を合わせたくない。あんな男と私をくっつけようとした母にも会いたくない。いっそのこと、どこか遠くへ逃げてしまおう。そう思って、私はその日の夕方にわずかな荷物をボストンバックに詰めて、翌日の朝5時に家出をしたんです」
「まあ、家出」
「ええ」
「家出をするなんて……いいなずけの新藤さんに暴行されそうになったことは、よほどショックだったんですねえ。それで、家出は成功したんですか?」
「いえ、岐阜の叔母の家に身を寄せたんですが、母に知られてしまって……数日後には呼び戻されてしまったんです」
「ご両親は何て?」
「もう、それはそれは怒りました。それに狭い町ですから、近所に私が家出をしたことが知られてしまい、大変でした」
「そりゃあ、ご両親にとってはあなたは大切な娘さんなんですもの。家出なんてとんでもないということなんでしょうね。それにおそらく、いいなずけの新藤さんがあなたを犯そうとしたことは知らないんでしょう?」
「ええ、そんな恥ずかしいこと、私の口からはとても言えませんでした。それで悩んだ末の家出だったんです。そんな中、あのいいなずけの新藤さんは私と仲直りしたいと、以前にも増して私に会いたいと言ってくるんです。でも、私はとてもこたえられる精神状態ではなかったものですから、一日中部屋に閉じこもるばかりで……そんな日々が数ヶ月も続いたんです」
「まあ、じゃあその当時、あなたは就職していなかったのかしら?」
「はい、父も母も就職なんてしなくてもいい、花嫁修行をすればいいと言ってどこにも勤めさせてはくれなかったんです。私も世間知らずだったんですよね」
「そうね、あなたのお話を聞いていると、どうもご両親はあなたを嫁がせることしか考えていなかったようですもの。典型的な箱入り娘だったんですね」
「ええ、ですから部屋に閉じこもりっきりの灰色の日々が続きました。そうこうしているうちに、なんと両親が新藤家と結納を交わす約束をしていることが分かったんです。信じられませんでした。それを聞いて、私は二度目の家出をしたんです」
 志津代はよほど追い詰められていたのでしょう。一度家出をしたことで、両親の激怒を目の当たりにし、近所からも好奇の目で見られ、相当つらい思いをしたはずなのに、もう一度家出を試みるのですから。世間体も、両親へのうしろめたさも忘れるほど、新藤との結婚が耐えられなかったのです。 

「新藤との結納が嫌で家出をした私は、高校時代の友人の家に泊めてもらっていたんです。 でも、結局は母が私の居所を突き止めて、連れ戻されてしまいました。たびたびの家出に両親は相当怒っていました。首に縄をつけておきたい心境だったとも…。とにかく、お前の身勝手から新藤家との婚約は破談にすることは出来ないんだと、日柄の良い日を選んで強引に結納を交わしてしまったんです」
「まあ、本当に昔は本人の意志などお構いなしで、親同士のメンツで結婚させられたりすることが少なくなかったですもんね。奥さんも、そんなご両親の犠牲になってしまったのね……」
「ええ、結納の席に私が居ないわけにもいかないものですから、和服を着て同席させられました。でも、心の中では一刻も早くその場から逃げ出したくて、逃げ出したくて……」
「めでたい結納もそれでは何の意味もありませんよねえ。ご両親は何であなたの気持ちを大事にしてくれなかったのかしら。家出をするほど嫌がっているのにねえ」
「結納さえ済めば、私の気持ちの整理もついて、素直にお嫁に行くとでも思っていたんじゃないかしら……」
「なるほどねえ……」
「結納を交わして正式に結婚することになった新藤は、それ以来、もう結婚するんだからと言って、私の部屋に何度も押しかけてきては執拗に私に迫ってくるんです。まるで飢えたオオカミみたいでしたわ。とにかく、私にとって新藤は愛することのできない、いや、むしろ憎悪しか感じられない相手でした。そんな人の妻になるなんて、とても耐えがたく、屈辱的なことでした。だから私は……」
「もしかしてまた家出を?」
「ええ、昭和47年の5月末のことでした。先の2回の家出とは、気持ちの入れようが違いました。もう、今度こそは死んでも家には帰らないと心に決めていたんです。3度目の正直だと思って、相当な覚悟をきめて私は家出を決行しました。それが最後でした。その日のために、私はある程度お金を貯めていました。その年の3月に心不全で急死した父のお墓参りを済ませてから、始発列車に乗ったんです」
「お父さんは、結納が済んでから亡くなられたんですね」
「ええ、突然のことだったんです。母には申し訳ないと思いながら、もう二度と家に帰るつもりは無かったので、書置きをして出てきました」
「そうだったんですか……それでどこへ?」
「名古屋の港区にいるいとこを頼って行こうと、国鉄の岐阜駅に行ったんです。でも旅慣れていないものですから、岐阜で名古屋行きの列車に乗り換えるのにオロオロしていたんです。そこに切符の売り場が分からないんですか? と声をかけてきた人がいたんです」「それが今のご主人なのね」
「はい、よく分かりますね。まだお話してないのに……」
「一応、霊感師ですもの。それくらいのことは……」
「そうですか。なんか、何でも見透かされているみたいで怖いわ」
「そんな、お気になさらないで。それでさっきの話の続きですけど、岐阜駅で話しかけてきた男性とはどうなったのですか?」
「ええ、私が名古屋へ行きたいと言いましたら、彼は名古屋なら僕も行くところだからと私の家出道具がつまった大きなバッグをひょいと持ち上げて、サッサッと先に立って歩き出したんです。とっさのことで、仕方なく私もその人の後について東海道本線の上り列車に乗ったんです」
「まあ、少し強引ですわね」
「ええ、それに私の格好がよほどおかしかったんでしょう。しきりにどうかしたのですか? って聞いてくるんです。私はつい、覚悟を決めた家出だと言ってしまったんです。そしたら、心配だから私が訪ねて行くいとこの家まで送ってあげると言ってゆずらないんです。何度も断ったんですけど、結局、港区のいとこの家まで送り届けてくれるかたちになってしまったんです」
「でも、それだけでは終わらなかったんですね。彼はあなたに一目ぼれしてるわ……」
「ええ……彼は香川康三と名乗った後、なぜかまた来ると言って岐阜へ帰って行ったんです。いとこは私に同情してかくまってくれたんですけど、子供さんもいるし、いつまでもそこに居ることは出来ないと思いました。漠然と身の振り方を考え、肩身の狭い思いをしていた時に、また彼が訪れてきたんです。一週間くらい経ってからでしたね。『いつまでもこの家にご厄介になっているわけにはいかないでしょう。この家を出ましょう』と言うんです。私もちょうどここにはこれ以上居られないと思っていましたから、それがきっかけでいとこの家を出ることにしたんです。彼がどんな人かも知らないで、ただ誘われるままに……」
「追い詰められた気持ちで、もうそれしか道は無かったんですね」
「ええ、親切で好感の持てそうな人だったし、他に頼る人もいなくて、もうどうしていいのかわからなくて、つい……」
「人間って、そういうどん底の時に手を差し伸べてくれる人に弱いものなんですね。とくに女はそうした情に弱いから」
「好きだとか、愛しているとか、そんな感情は何も無かったんです。ただ、救ってくれるんだと思いました。それで、もうどうなってもいいというやけっぱちな気持ちから、その夜、岐阜の旅館で求められるがままに身をまかせてしまったんです」
 あれほど自堕落な女にはなりたくないと思っていた志津代が、行きずりの男に身体を許してしまったというのです。志津代は続けます。
「今までいいなずけの求めをも、かたくなに拒んできたというのに、私は何をやっているのでしょう」
 志津代は竜香から顔を背けて、自嘲気味に笑いました。
「そのまま、その方と駆け落ちしてしまったわけなんですね」
「ええ、その意味では母のことを悪く言えませんよね。いいなずけを捨てて、母を捨てて、家を出て、それ以来十何年という間逃げ回っていたのですから、私のほうがよっぽど親不孝者ですよね。それもよくよく考えてみれば、好きで好きでたまらない人と駆け落ちしたわけではありませんもの。本当に愛する人のために犠牲を払ったのでしたら、自分でも納得がいくんでしょうけども」
 そしてまた、志津代は自分を蔑むように言って肩で息をしました。
 ここまで話した時、ワゴンを押しながら社内販売の売り子が通路を通りかかりました。
「すみません、ホットコーヒーを下さい」
 竜香は呼びとめて、志津代にも聞きます。
「奥さんは何になさいます?」
「私は、別にいいです」
「遠慮なさらないで。じゃ、同じホットコーヒーでいいかしら」
 竜香の言葉に志津代はうなずきました。買い求めた缶コーヒーの口を開けて、竜香が志津代に手渡しました。
「あ、ありがとうございます」
 志津代と竜香はコーヒーを飲みながら、話をつづけます。
「でも、少なくとも嫌いで嫌いで仕方ない男と一緒になるよりは、良かったかもしれませんね」
 せめても……と竜香は同情するように言いました。しかし、それに答える志津代の声は沈んでいました。
「いえ、やっぱりそんな形で駆け落ちしての結婚では、結局いい結婚は出来ませんでした」
「なるほど。奥さんにとっては不幸な結婚生活が始まったわけですか?」
「ええ。夫の康三は私より5つ年上で、岐阜市内の繊維問屋に勤める社員でしたが、私の母といいなずけの懸命な捜索から逃れるために、市内を転々と住まいを変えて暮らさなければならなかったんです。母からは警察に家出人の捜索願いが出されましたし、新聞の尋ね人の広告も出されました。自分が新聞に乗ったり、警察に捜されているだなんて思うと、怖いような、追い詰められたような、それでいてどこか他人事のような……私なりに夢に見ていた新婚生活はあっさりと崩れ、現実は行きずりで結婚した男と逃げ回る生活になってしまったんです」
「よく夢に描いていたことはなかなか現実になってくれない、現実はこんなものだと言いますけど、これでは180度違いますよねえ」
「ええ、一度私を探しに来たらしいいいなずけの車を市内で見かけたこともあって、心臓が止まりそうになったこともありました」
 志津代の新婚生活は、波瀾の幕開けでした。しかし、苦労はこれだけではなかったのです。
「いいなずけの新藤さんって、よほど奥さんが好きだったんですね。お金持ちでも、人からもてても、奥さんじゃなくちゃだめで、奥さんに未練たらたらじゃないですか」
「ええ、そんなことないですわ……なんて、否定するつもりもありません。本当にそうだったのでしょう。新藤は私に執着していました。それに加え、母も一緒に私をずいぶん探したようです」
「それはそうですよ。大事なお嬢さんが、全てを捨てて家出しているんですもの」
「ええ、その頃夫はそんな私をいたわってくれ、真面目に働いてくれたんです。長女が産まれた年には、11年勤めた繊維会社を辞め、知り合いの協力を得て衣料品店を開きました。もともと借金をして始めた店だったこともあり、設けも薄く、生活は楽ではなかったんです。その後、長男、次女と次々に産まれましたが、私は親に泣きついていくわけにもいかず、夫だけを頼りに貧しい生活を続けていました。でも、当時はつつましい生活ながらも幸せでした……」
「じゃあ、その頃はまだ平穏な結婚生活だったんですね」
「はい、でも商売のほうは一向に良くならず、生活は苦しかったんです。これ以上子供が出来たらとてもやっていけないと悩んだ末、私は4人目の子供を宿したとき、解熱剤を多量に飲んで無理矢理、流産させたんです」
「まあ」
「夫が避妊具を使うことを嫌いましたから、その後も妊娠するたびに、そうして中絶を……」
「一体、何人の子を堕ろしたんですか」
「3人でした……」
 竜香はあまりに痛ましい身の上話に、眉をしかめました。
 流れるように走る列車の窓ガラスに、サングラスをした志津代の横顔が映りました。
「……夫と所帯を持ってから10年後の春のことでした。その時からです。目の調子が悪くなってきたのは……私は角膜炎を患って小牧の眼科に通うようになったんですが、3ヶ月入院しても良くならないんです。それどかろか、日に日に見えにくくなるばかりで……時々吐き気さえ催すようになってきたんです。でも、お医者様は『慢性盲腸炎のせいだから心配無い』とおっしゃって、取り合ってくれないんです。そのうちますます視力は衰えてきて、まるで濃い霧の中を歩くような状態にまでなってしまいました」
「それが見えなくなる最初の段階だったんですね?」
 竜香は身を乗り出すように聞きました。
「ええ、ある時顔なじみになった患者さんが『吐き気がするのは緑内障の兆候だ』と言うものですから、私は心配になってもっと大きな病院で見てもらうことを決心したのです」
 そこで不幸のどん底に突き落とすような診断が待っているとは、その時の志津代は夢にも思っていなかったのです。 
 心配になった志津代は、知人に教えられた名古屋の大きな眼科を訪れました。そこで精密検査をしたところ、医師から耳を疑うようなことを聞かされてしまったのです。
「お気の毒ですが、急性の緑内障でもう手遅れです。これからさらに視力が衰えることはあっても、回復の見込みはありません。一応、治療は全力を尽くしますので、通院を続けて下さい」
 もう、治らない…もう見えない…光を感じられない…
 志津代は絶句しました。そして両手で顔を覆い、泣き崩れました。
「3人のお子さんもまだ小さかったんでしょうに…そんな時に目がほとんど見えなくなるなんて…ご主人はそれを聞いて、何て?」
「名古屋の病院には、夫もついて行ってくれたんです。私は病院を出て小牧へ帰る電車のホームで、あまりのショックで恥も外聞もなく泣き崩れてしまったんです。もう手遅れ。さらに見えなくなることはあっても、回復の可能性がないと言われた時の絶望感は、それは想像を絶するもので、一体この先どうしたらいいのかと…」
「それはそうでしょう」
 あまりの志津代の不運に、竜香もハンドバッグからハンカチを取り出して、涙を拭いました。
「泣き崩れる私を見て、夫は『医者に目が駄目になったからと言われても、お前は3人の母親なんだ。家に帰ろう。俺がついているから泣くな』言い、抱き起こして電車に乗せてくれました」
「当時、子供さんはいくつぐらいだったんですか?」
「長女が小学校4年、長男が3年、次女は1年生でした。私はそれ以来ショックで泣いてばかりいましたから、生活に困った夫は岐阜から夫の妹を呼んで、家事や子供の世話をさせていました。商売は店員を雇うようになったんです」
「本当に奥さん、人の何倍も、何十倍も苦労なされましたねえ」
「その年の暮れには、もうほとんど見えない状態で、狭い家の中を手探りで歩くような毎日でした。まだ、見えない生活に慣れない私は、家の中でもあっちの柱で額を打ち、こっちの床を踏み外し、物につまずいては転び…真っ暗の中で、痛い思いばかりしていました。本当に、泣いてばかりの毎日だったんです」
竜香は志津代の話をそこまで聞いただけでも、もう気の毒で仕方ありませんでした。しかし、竜香は志津代にはそれ以上につらい何かがあったのではないかと、霊感が働いたのです。
「家出をし、追い回され、子供を堕ろし、目が見えなくなった…もう、こんなにも奥さんだけが不幸な目に会われるなんて、不条理としか言いようがないと思われます。神様はいないと思われたんじゃないですか?でも私、さらに奥さんにひどい事があったような気がするんですけど…話してもらえますか?」
「それも分かるんですか?」
「ええ、直感です。そんな感じがするんです」
 志津代は竜香の霊感に、本当に驚いていました。
 今まで、誰にも言えずに来た過去を、竜香の前ではひとつ、またひとつと話すことができました。
 それにしても、盲目にさらに拍車をかけた不幸とは……。
「あれは、目が見えなくなった翌年の夏のことでした。夫はいつもと変わらない態度で店員にあれこれ指図して店に居たんですけど、午後になって『今日は付き合いで豊田にマージャンをしに行くから帰りが遅くなるかもしれない』と言い残して、車で出ていったんです。それが最後でした……」
「えっ? じゃあ目の見えないあなたと小さなお子さんを残してどこへ?」
 竜香は眉を吊り上げて聞きました。
「夫は1日経っても2日経っても帰ってきませんでした。何か事故にでも遭ったのかしら? それなら電話でもしてくるはずだけど……と心配で心配で」
「それはそうでしょう。ご主人だけが頼りの生活ですもの」
「それで夫の兄に連絡したところ、飛んできてくれまして、あちこち捜してくれた結果、夫は名古屋のバーのホステスと蒸発したことが判ったのです。義兄がやっと探し当てた女のアパートを訪ねた時には、もうすでに2人は引き払った後で……それに女はバーを辞めているわで、行方は掴めませんでした」
「聞きしにまさる、ひどい話ですね。分別のある人間のすることじゃない。幼い子供さんを3人も抱えて、目は見えないし、途方に暮れたでしょう」
「ええ、もちろんです。まさか主人に半年も前から愛人がいて、私が捨てられる目に遭うなんて、全く想像もしていませんでした。まだ小学生の子供を3人も抱えて、目の見えない私は働くこともできず、頼る人もいない状態ではなすすべがありませんもの……」
「ご主人にしてみれば、いろんなしがらみから自分だけ抜け出したといったところでしょうが、子供さんたちにはどう説明したんです?」
「もちろん、本当のことは言えませんでした。『お父さんは急に頭が変になって病院へ入院した』と話しました。事情を知った店員も去り、店は続けられなくなりました。そんな私に同情してくれた隣近所の人達が、町内の民生委員に相談してくれまして市の生活保護を受ける手続きをとってくれたんです。他人様からのそうした救いの手が、唯一の私の心の支えでした」
「生活保護だけで生活は成り立ったんですか?」
「いえ、生活保護はありがたいんですが、やっぱりそれだけではとても生計は成り立たなかったんです。それでも子供たちが協力してくれまして、毎朝五時に起き、5年生の長女と4年生の長男が新聞配達、2年生の次女が掃除をし、新聞配達から帰った長女がみんなの朝食を作ってくれるようになりました。洗濯や買い物も学校から帰った子供たちが分担してくれましてね。夕食も長女が作ってくれるようになり、なんとか最低限の生活だけは……。どん底のどん底にいても、子供たちだけは私を裏切りませんでした」
「そうでしたの。幼いのに、本当によくやってくれましたよね」
 子供の甲斐甲斐しさに、竜香の表情も穏やかになりました。少し、自分の子供と照らし合わせてみたりして……もし私が志津代さんだったら、私の子供はこんな風にしてくれるかしら……? なんて想像を巡らせたりもしたのでした。
 子供たちの支えあって成り立った、ほそぼそとしながらも思いやりあった生活に、またとんでもないことが起こるとは……!! あの時の志津代は想像だにしていませんでした。
「子供たちが協力してくれて毎日懸命に暮らしていたあるとき、私は廊下のふちを踏み外して、額から血まみれになってしまったんです。こんな惨めな姿を子供たちに見せるくらいならいっそ死んだ方がマシだと思って、台所に這って行って包丁を握りしめ自殺をしようと思ったんですが……出来ませんでした」
 あまりにも悲惨な話に竜香の目から涙がこぼれ落ち、ハンカチで目頭をおさえました。
「辛いことはまだまだ続きました。それから3年後、夫は突然戻ってきましたが、事もあろうに女連れなんですよ」
「えっ?!」
 竜香はびっくり仰天で、思わず大きな声を出してしまいました。
「それで、なんとその女性も一緒に住むというんです。主人さえ戻れば子供たちに苦労をかけないで済むし、どうせその女性も長居は出来ないだろうと考えて、私は耐え忍ぶことにしました」
「じゃあ、あなたと旦那と子供と旦那の愛人が同居して生活を始めたんですか?」
 竜香は唖然として、ぽかんと口を開けたままでありました。
 志津代は続けます。
「それから1週間後、予想だにしないことが起こりました。長女が『お母さんがかわいそうだから、お父さん、女の人と別れてください。お母さんをこれ以上苦しめないでください。私は死んで抗議します』と書置きをして家出をしてしまったんです」
「お嬢さんには異常な生活が耐えきれなかったんでしょうね」
 竜香は鼻水をすすりながらつぶやきました。
「幸いにも、長女は国鉄の線路の上を始発列車に向かって歩いているところを、捜しに行った夫が見つけて連れ戻しました。本妻と愛人が狭い家に同居するような異常な生活は、地方都市では目立ちますから、たちまち近所の評判になりましてね」
「そりゃそうでしょう」
「私に同情してくれた近所の人たちが、夫に抗議してくれたのです。さすがに夫も居たたまれなくなって、その3日後にまた女を連れて突然出て行きました。そんな生活、最初から無理だと思いますもの。なぜ帰ってきたのかも分からないですわ」
「その後、ご主人はどうしておられるんですか」
「噂によると、その女が病気になった後その女とは別れて、今は岡崎市で別の女性と暮らしているみたいです」
 志津代は遠くを見つめるように、車窓に顔を向けました。志津代には見えないのですが、北陸の空はどんよりと曇って、沿線に広がる田園風景は日陰に雪を残していました。
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