東大出身生 かりんのひとりごと 過去ログ その58〜59


その58  お手軽ご飯について (2002.4.8)

 今回の日本帰国は破格に長いので、そろそろ職場に戻る準備を精神的にもしないとまるでかえれなくなりそうなこのごろ。
 やはり日本はいい(笑)。生まれ育った国だし、物価が高いとか電車が混んでいるとか、政治がいまだかつてなく混迷しているとか、なんだかんだいってもやはり自分の国は住みやすい。
 でも、あんまり長くいると、息がつまるし、世界の動きについていけなくなるし。バランスが大事なんでしょうけれど。

 タイトルのお手軽ご飯というのは、かりんが帰国するとお世話になることの多い、デパートやスーパーのお惣菜、お弁当のことです。日本は、手軽にご飯が食べられる! 外食するレストランの多さやバラエティの多さもさることながら、お店で持ち帰りできるように売っているお惣菜やお弁当の種類といったら目をみはるものがあります。
 切干大根、ひじき、煮物をはじめ、てんぷら、コロッケ、焼き鳥など、おかずにもメインにもなるものが盛り沢山。かりんのように一人暮らししていると、どうしても自分のために4品も5品もつくる気力がでないので、こういうパックのお惣菜を何種類か買って、ご飯とお味噌汁を用意するだけで自分でつくるよりはるかに豪華なお食事ができるのは、実にすばらしいことです。しかも、お惣菜やお弁当は、人数に合わせて帰るよう、量り売りになっていたりもする。おにぎりにいたっては、ひとつひとつ丁寧にパックされていて、のりがぱりぱりしているタイプか直巻きタイプかの選択までできる。これが至れり尽くせりでなくていったいなんであろう??

 あと、見逃せないのが、駅弁。最近はデパートやスーパーでも有名で人気のある駅弁を買うことができるけれど、かりんが子供のころは特定の電車にのらないと買えない、特別なもの、という印象が強かったのです。
 かりんが大好きだったのは、東海道本線に乗ると買うことができた、「鯛めし弁当」。当時祖母の家が東海道本線沿線にあり、祖母の家にいくと、必ず一食はこの「鯛めし弁当」にしてくれ、と騒いだ覚えがあります。これはときどき売り切れていたりして、せっかく電車に乗れても、お弁当にありつけない、という悲しいこともあり、かりんにとっては強烈な思い出になっています。「鯛めし弁当」は小田原のあたりでつくっているらしいのですが、たいてい有名な駅弁は土地色豊かな、名産と呼ばれるものをつかっている、「その地域といえば、この駅弁」的ものが多いですよね。

 海外でお惣菜やお弁当を目にすることって、あんまりないので、日本に帰ってくるとついその便利さに感動してしまいます。もちろんデリカテッセンのようなものはあり、ポテトサラダとかお魚のマリネとかお惣菜っぽいものを買うこともできますが、バラエティに乏しく、日本のスーパー、コンビニみたいに、「どこでも買える」感に乏しいのです。
 日本食材屋や和食レストランが特別にお弁当を販売している例も見受けられますが、お寿司が多く、やはり購入する人の数が少ないのかお弁当の種類、中身の種類に限界があるように思います。利用者が少ないと元もとれないのでしょうから、必然かもしれませんが。
 持ち帰りできる中華やベトナム料理のおかず、もときどきジュネーブのスーパーで見かけますが、さめると美味しくなかったり、バラエティに乏しい。駅弁にかわるものといったら、何でしょう、駅のパン屋のサンドイッチとかキッシュくらいでしょうか(非常に寂しい)。いつでも食べられるクロワッサンやサンドイッチを片手に電車にのるなんて、「ハレ」感が少なくて、悲しい気もします。ま、確かに「お弁当」って発想があんまりないみたいだし。ピクニックといっても日本人のお弁当箱みたいに小さな入れ物にものをつめる、というよりは、豪快に大きなタッパにじゃんじゃんものをつめてもちよるし。(持ち運びの容易さは問題ではないようだ)

 海外の人たちは、「お手軽に食べる」ということについて関心が低いのでしょうか? 「お手軽に食べる」というと、冷凍食品にいってしまうようなんですよね。

 つい最近知ったのですが、日本には「惣菜管理士」という職があるそうですね。これは栄養士から派生した資格らしいのですが、コンビニやスーパーで売っているお惣菜の栄養バランス、品質を保つかをチェックする人らしいのです(おぼろげにしか覚えてない)。ときに豊富な知識を生かして、新製品の開発も行ったりするのだそうです。
 こういう風にシステム化されているから(そういう職業が存在しているから)、日本ではお惣菜が益々豊かになるのかもしれませんね。





その59 新学期、新年度によせてー新入生、新入社員色 (2002.4.15)

 まだ日本にいるかりん(笑)。この時期、街なかを歩いていると、目に付くのが新入生や新入社員です。みんな同じ制服やスーツ姿なのに、なぜか彼らはひとめで「あ、新入生」「新入社員」ってわかるんですよね。それは着慣れないぱりっとした制服やスーツ姿のせいかもしれないし、期待と不安にみちた顔つきのせいかもしれません。
 妙に「新入生」「新入社員」であることを隠そうとしてか、肩に力がはいっているのも、逆に目立つ要因だったりして。かばんやくつも新しいし。
 ちなみに海外では同じ制服を着てぞろぞろ歩く集団をみないので、だれが新入生かはわかりにくいものです。

 不思議なもので、時間がたつにつれ、制服もスーツも着慣れてきて、いい感じにくたびれてきて、本人も学校や社会に慣れて、もまれて、顔に自信がでてきて、いずれ学生、社会人一年生ってわからなくなるように思います。
 こう考えると、何を着ても、どのような格好をしても、結局内面てでてしまうなあ、などと考えます。

 非常に変な例ですが、かりんの父は、昔からかりんの「定点観測」をする趣味があり、入学式や卒業式といった節目節目にかりんの写真をとっていました。幼稚園の入園式、卒園式、小学校、中学校、高校の入学式、卒業式など、いつも同じ、子供のころに通った公園の桜の下で写真をとらされたものです。
 ところが高校卒業の年、かりんの浪人が決まったためかりんパパは写真をとりませんでした。かりんのなかではたいしたことではなかったので忘れかけていたのですが、なんとかりんパパはかりんが大学に合格した年、思い出したように「そういえば、高校卒業の写真をとってないので、もう一回制服を着て写真をとってもいいかな」と恐る恐る言い出したのです。
 これには参りました。制服を着なくなって一年たち、今更制服をきて写真なぞとりたくないと泣いて抗議しましたが、パパはあきらめず、泣く泣く、家の庭(公園にいくのだけは免除してもらった)で制服を着て写真をとったのです。
 出来があった写真をみて、二度びっくり。制服が異様に似合わなくなっているのです。化粧をするようになったわけでもないのに、顔つきが違う。たった一年なのに、ぜんぜん制服の似合わない顔になってたのです。かりんの内面の何がどう変化したかわかりませんが、学生のときとは違うなにかが生まれ、制服をきたかりんの姿に影響したと思うのです。(余談ですが、かりんパパは、かりんが浪人して必死に勉強しているところを写真にとりたい、といってかりんの逆鱗にふれましたが、弱いかりんは合格したあと使用した問題集や教科書を処分するまえにしぶしぶ「浪人生ルック」で写真をとらせてあげました。このときは机にむかうかりんの後姿のみだったので、はたしてかりんの「浪人生ルック」が浪人が終わったあとも板についていたかどうかは不明、笑)

 そう、だから、制服やスーツをかちこちにきているあの新入生、新入社員たちもいずれ服装に慣れ、内面が変化していくうちに「新入生」色が薄れていくのでしょう。
 初々しさがなくなるのはある種残念なことですが、成長していくプロセスだから。。。みんな頑張ろうーとエールを送りたくなるかりんでした。