東大出身生かりんのひとりごと 過去ログ(その52〜その53)



その52  病いは気、マイナス思考から。。。。 (2002.2.25)

 ここ最近、風邪の話題で恐縮してます。かりんの風邪はあとは咳を残すのみとなり回復に向かいつつありますが、この咳がひどい。
 幸いに喘息になったことがないので、咳がこんなに苦しいものだと知ったのはこれが初めてです。今週はあまりの咳のひどさに眠れず、往診の医者を呼んでしまったほど。病気になると、心の底から健康であることの有難さを感じますね。
 先週から再び寒くなりはじめたジュネーブは、雪もちらついたりして、気温もマイナスまで下がり、すっかり冬に戻ってしまったかのようです。

 こういうとき持つべきものは、やっぱり気の合う、明るい友達。よーく考えてみると、最近職場でもどこでも、よく話していたのはなぜかかりんと同様に「運気の下がるスパイラル」にはまっている友達ばかり(笑)。
 一緒に愚痴りあってるので、これじゃ運気が下がるのも無理はないかもしれません。ひと昔前にベストセラーになった「聖なる予言」という本、ご存じですか? このなかに、人との関わりはエネルギーの交換である、というようなことが書いてあったと記憶しています。これによると、けんかばかりしている人たちは、お互いに自分の持っているエネルギーのとりあいをしているが、反対に良い関係を築いている人たちは、エネルギーの与え合いをしている、エネルギーを人からだけでなく自然や音楽やほかのものから受け取って増やしているから、とりあいをしなくてすむのだそうです(違ったかな?かりんはこう解釈したんですけど)。
 たしかに一緒にいて楽しい人というのは、やっぱりポジティブな、プラスのエネルギーをたくさんもっていて、話していて元気になれる相手だと思います。かりんも、「元気」な友達と食事をして改めてその事実を確認しました。

 かりんママは、眉間に皺ができるのを防ぐため(?)、一時期寝るときに眉と眉の間にセロテープを張っていましたが、かりんも、まず顔の表情が暗くならないように、手始めにそこから始めてみようかな(笑)。(ちなみにかりんパパは子供もころ、どうしても身長を伸ばしたくて、足首に石のブロックをつけて寝たことがあったとか)。





その53  事実は小説よりも奇なり (2002.3.4)

 読書は好きですか?海外にいると得に日本語に飢えるせいもあって(仕事のペースも比較的自由がきくので)、読書量が上がる気がします。もともと本フェチで、本に囲まれていると嬉しくなる性格なせいもあります。周りにそういう友人も多いので、本を交換して回し読みしたりしてます。
 ジュネーブのみならず、フィールドにいる友達にも送ったりして。ジュネーブには日本語の本屋がないので、よけい貴重に感じるのです。本屋が存在しなくて選択の余地がないので、自分ではまず買わないような本でも、手元にあれば読むようになってしまいました。
 まったくの乱読。そんなわけでかりんの本だなは統一性があまりみられません。ちなみに、人の本棚って、気になりませんか? かりんは人がどんな本を読んで、何を面白いと感じるのか、とかかなり気になる方なので、人の家で本棚が見えるところに置いてあると、つい見てしまいます。
 しかし、昔何かの本だか記事で読みましたが、「人の本棚を見るのは覗き行為と同じである」そうです(笑)。考えてしまいますね。

 さて。最近縁あって、「アウシュビッツの少女」というアウシュビッツ収容所に送られたユダヤ人で、生き残ってイギリスに渡った実在の女性が書いた本を読みました。
 彼女はポーランドで生まれ育ち、ナチスによるユダヤ人狩りが始まったので、家族(両親、兄、祖母)でゲットーからゲットーへ逃亡生活をします。一度ロシアの方まで逃げようとしますが失敗し、結局偽造パスポートを入手してあえてドイツに逃げます。その時点で祖母、兄、父とは別れて、親子二人になっているのですが、結局親子二人ドイツの工場で働いているところ、ゲシュタポにユダヤ人であることをつきとめられ、アウシュビッツ収容所の第二収容所と言われたビルケナウ収容所送られます。ここで一年半にわたって壮絶な状況を親子二人で生き抜き、戦争末期にドイツからイギリスに渡るのです。
 実に酷い、厳しい収容所生活のなかで多くの人が、収容後3週間から6週間で、過酷な労働や栄養失調、病気、それからガス室送り、人体実験、拷問、等などの理由で、亡くなっていくなか、著者と母親が一年以上生き延びて、戦後を迎えることができるのは、殆ど奇蹟的なことです。
 著者は、母親が亡くなったあと、長年再び訪れて見たかったというアウシュビッツを、成年になった息子と一緒に訪ねます。そのテレビの特別番組にもなった旅をベースに、昔を振り替える形式で本が書かれています。

 「アンネフランクの日記」とか「夜と霧」とか、ナチスのホロコースト関連の本は非常にたくさん出版されていますし、歴史の授業でもテレビでもこの史上最初の、大規模かつ組織的殺人についてはよく知られていることと思います。
 しかし、実際に生き残った人が語る、凄惨な収容所生活の様子は想像を絶していて、恐怖の気持ちでいっぱいになります。とくに実際にアウシュビッツ収容所跡の博物館を訪れたことがあるので、よけいにはっきりと状況が想像されて怖くなってしまいます。

 怖さの種類にもよりますが、怖いフィクション小説は沢山出版されているし、かりんも不本意にも(好きなジャンルではないため)読んだことがあります。
 でも、この本は「実話」の怖さ。「事実は小説より奇なり」とはいいますが、実際大昔ではなく60年ほど前に、600万ともいわれる数のユダヤ人がユダヤ人であるということを理由に組織的に虐殺されたという事実は、やはり不気味な怖さがありますし、人類が忘れてはいけないことだと思います。「歴史を学ばないものは、同じ歴史を繰り返す、経験する」という言葉もあるとおり、人間は忘れっぽいらしく、第二次大戦後もカンボジアで、ルワンダで、旧ユーゴスラビアで、と民族、宗教対立をもとにした虐殺が行われており、これは非常に悲しい事だと思います。

 それにしても、とても怖い本だったので、つい「ひとりごと」に書いてしまいました(笑)。ある友達は昔読んだ「黒い家」(日本人が書いた小説だと思いますが)という本が、あまりに怖く、恐怖のあまり読んだあと暖炉にくべて燃やしたとか(笑)。