東大出身生かりんのひとりごと 過去ログ(その46〜その47)




その46  選択の自由について (2002.1.14)

 最近かりんは、これからの自分の仕事について考えています。というのも、ジュネーブに来て二年が過ぎ、社会人になってそろそろ4年(助走が長かったからまだ4年)、昨年節目の年も迎えて、今後どうやって生きていこうかな、と考えるのです。
 かりんの今の職場では、昇進の可能性を考えなければいまの仕事をずーっと続けることが可能です。自動的に昇進するシステムではないので、ひとつ上のランクのポストを探して自分で移動しなければならず、いまの職場のひとつ上のポストは当分空かないので、昇進したければ外にでるしかないのです。逆に別に昇進が気にならなければ、ずっといまのところにいられる(笑)。
 昇進はともかくとして、仕事の内容は? というと、人道援助の仕事をしている限り、やっぱり援助の対象がみえるフィールド/現場に行きたいかな、とも考えます。となると、本部であるジュネーブから、アフリカなりアジアなり、フィールドにうつることになるんですが、自分が日本人であることと、中長期的には日本に住むのかな、ということ、そして自分の言語能力を考慮するとアジア方向の気がします。
 で、いまのようなリエゾン/調整の仕事か、実際に予算をつけてプロジェクトをまわすオペレーション関連の仕事かというとどちらが好きか、もしくは向いているか??? とか悩みはつきません。いっそ誰かが決めてくれたらいいのに(笑)。

 選択の自由があるのは素晴しいことです。そのなかから、自分の好きなこと、場合によっては嫌いではないこと、を選べるわけですから。
 でも、枠、選択肢が決まってなくて、なんでも好きなことをしていい、といわれると、ちょっと辛くなってしまうのは、なぜでしょう? 人は自由でいたいくせに、枠がなくなると、やっぱり不安になってしまうような気がします。

 今のかりんがあるのは、もちろん両親やまわりの親戚、友達、学校の先生をふくめたかりんの育ってきた環境のお陰です。両親はかりんが将来持てる選択肢の幅を広げるようにしてくれてきたし、そのお陰でいま、それなりの数の選択肢のなかから、自分の好きなことを選べるようになっていると思います。

 ただ小さい頃、若い頃は、選択肢が明確で、どっちを選んだら正しいか、結果が明確に予想できたような気がしました。たとえば、大学受験を例にとると、「希望の大学に合格する」「おちる」というように、黒白はっきりしたなかで、おちたくないから、合格したいから、頑張って勉強する、というように。
 人になればなるほど、選択肢はグレーになり、グレーのなかから、比較的白っぽいもの、黒っぽいもの、と区別して選ぶことが増えたように思います。きっとどれを選んでも、楽なことばかりではなくて、山と谷の数は一緒で、選択したことの結果は自分が責任をとらなくてはいけないと思います。
 それにしても、選択する自由がある、ということは考えることを強いるから、非常に疲れることでもあります。人が選んでくれるなら、考えなくてすむし、あとで失敗したときに、人のせいにできるから楽といえば楽ですよね(笑)。

 考えて、考えて、選択肢を選ぶ、それは自分だけれど、そのときの判断基準は、やっぱり両親や周りの人がつくるのを手伝ってきてくれたと思います。自分のもっているものは、周りから与えられたものだから。親や周りの人が、ちゃんとものを選べるように、審査する力も与えてきてくれたと思います。

 人道援助の仕事をしていると、悲しい子供のことをたくさん見聞きします。貧しくて学校に行かれない、戦争で両親を亡くし、自分が他の家族の面倒をみなくてはいけない、戦争に刈り出されて学校にいかれず戦うことしか知らない、などなど。。。
 この例は極端ですが、自分の住む社会のなかでも、自分と比して選択の自由の多い少ないは、絶対的に存在していると思います。知らないこと、無知であることは楽なことでもあります。考えなくてすむから。でも、同じように生まれてきて、選択する可能性をまったく知らずに生きることは、幸せなことなのかなあ、と考えます。
 逆に選択する可能性をもたない人たちが、同じ世界にいる、ということを知らずに生きることも、それはそれで楽だけど、正しいことなのかなあ、と。これもまた正解のないことなので、一生懸命考えるしかないのですが。。。ま、こんなことをいっていても、時にちびまるこちゃんみたいに「何もかも忘れてジャマイカにでも行きたいよ〜」となることも多いんですけどね(笑)。





その47  ジュネーブで食べられない、日本のものは? (2002.1.21)

 最近、ちょっと仕事が忙しくなってきたせいもあって、かりんの食生活もサンドイッチをつまむ、とか簡単にできるパスタ、とか、ちょっと乱れ気味なんです(はずかしながら)。
 考えてみると、グルジアにいるときも忙しくなるとずいぶんと食生活が荒れて、同じパスタばかり食べ続けたりしてました。でも、今はちゃんと日本の食材を扱うお店もあるし、簡単なレトルトっぽいものから肉まんとか冷凍食品とか、常備しておくと助かる食品が手にはいるので、手抜き食生活とはいえ、以前に比べればはるかに恵まれています。
 かりんは、和食党なので、ごはんとお味噌汁があれば頑張れるし。ジュネーブでは日本食のレストランにもこと欠かないから、いざとなれば外食に逃げることもできます。

 さて。海外の日本食のレストランに必ず存在するメニューといえば、何でしょう?まず、「お寿司」です(魚が手にはいる地域であれば)。外国人にとっても「お寿司」は日本食の代名詞みたいなものでしょうし、日本人にとっても、お寿司は家庭であまり食べない、外食の代名詞みたいなものだからかもしれません。
 その次は、「天ぷら」でしょうか。「天ぷら」も家庭でしょっちゅう食べるものではないですね、そういえば。それから、「とんかつ」とか「豚のしょうが焼き」とか。ちょっと技ありのレストランだと、「親子丼」「かつ丼」などの丼ものもあったりします。
 お酒のおつまみとして、「揚げだし豆腐」があったりするお店もありますね。

 では、なかなかないものって何でしょう?かりんが思うに、「ラーメン」と「カレーライス」なんですよね。少なくともかりんの知っているジュネーブの日本食屋さんで「ラーメン」と「カレーライス」がメニューに入っているところって見たことがないです(実在したら、ごめんなさい)。
 ロンドンとかニューヨーク、パリにはあるんですけどねえ。これは実はある人によると、日本人の人口に関係しているらしいのです。つまり「ラーメン」や「カレーライス」は家庭でも簡単に? つくれるようなものであり、単価もあまり高く設定できない。したがって、それなりに「ラーメン人口」なり「カレーライス人口」なりがいる大きな都市でないと、メニューに加えられないのだそうです。
 なるほど、そういうわけか。確かに、日本食材屋さんにいけば、ラーメンも売っているし、レトルトのカレーも、カレールーも売っているので、自分で作れないことはないですし。でも、ときどきとてもラーメンやカレーが食べたくなったりするんですよね。

 あと食べられないものは、当然ながら一般的な家庭料理。何を一般的というかわかりませんが、たとえば「ハンバーグ」とか「コロッケ」とか、給食にもでてきそうなもの(笑)。
 かりんママが昔、自宅で作っていたようなものは、やっぱりレストランに出してご商売になるようなものばかりではないらしく、お目にかかることはありません。こう考えると、味覚は家庭の味で形成される、磨かれる? ものですね。昔よく家で食べたものは、いまでも懐かしくて食べたくなります。
 恥ずかしながら、かりんは実家に帰ってかりんママが家にいるとき、つい甘えて食事をつくってもらっているのですが、それはやっぱり慣れしたしんだかりんママのお料理が懐かしくなるからなのかもなーと思います(ということにしておきます)