東大出身生かりんのひとりごと 過去ログ(その44〜その45)




その44  年の瀬 (2001.12.30)

 気がつけば、この原稿が掲載される日は2001年最後の日。この一年、あっという間でした。年をとるにつれ、一日、一週間、一年と時間の流れが加速度的に早くなっていくように思うのですが、これは何故でしょうね。皆さんにとって、今年はどんな年でしたか?

 クリスマス、年の暮れになると、東京では買い物に走る人が増え、賑やか、という印象がありますが、ジュネーブでは逆に町がどんどん静かになっていきます。クリスマスは基本的に家族でお祝いするので、お店(レストランも含めて)は開いてないし、開いていても6時や7時で閉まってしまうし、町なかもずいぶん寂しい感じがします。
 年末になると、冬休みに入るお店もぐっと増えて、町にでている人の数がどんどん減ってきます。みんな家族で山の別荘やスキーリゾート地にいったり、ジュネーブを出てしまうようなのです。これは職場でも一緒で、クリスマス、年末にかけて、ほとんどの職員が休みをとるため、公式にはクリスマスの25日を除いて、31日まで出勤日なのに、カフェテリアや喫茶店、売店などが早々に閉まったり、品数が減ったりします。
 なんとも言えず、寂しい感じがします。

 可笑しいのは、日本だと、お正月の三が日がお休みのところが多いから、年末は賑やかでも、1月の最初の数日間は静かですよね。
 ジュネーブの場合は、祭日は元旦だけなので、年末にかけてどんどん静かになり、お正月は2日から通常通りになります。ゆっくりお正月気分を味わう雰囲気ではありません(笑)。

 思い返すと、ジュネーブに赴任して3回目の年末ですが、3回ともジュネーブで迎えています。過去の二回は、当時の上司がクリスマス前からお正月にかけてしっかり休みをとってしまったため、私が貧乏くじで残らなければいけなくなったせい(笑)。
 1999年の年末は、Y2K問題で沸いていたせいもあり(覚えてますか?コンピューターが全世界的にダウンするとか、いろいろ騒がれてましたよね)、職場に詰めていて、2000年になる記念すべき瞬間を職場で迎えました。去年の年末は、生まれて初めて3重の重箱にいれる「おせち料理」をつくる、という大プロジェクトに燃えていました。2001年の元旦は、その力作「おせち料理」を日本人の友人たちと昼間の1時から夜10時くらいまで、延々食べ、そして飲み、だらだらとすごしました。こういうのが「お正月」だねえ、といいながら(笑)。
 今年はどうかなあ。多分、ジュネーブに居残っている友達と、だらだらとすごすのでしょう。。。そして2日から通常通り出勤(とほほ)。

 今年はかりんにとって、実にいろんなことがあり、変化に富んだ年でした。9月11日以降、世界は大きく変わった、といわれていますが、たしかにあのテロのあと、いろんなことを考えました。
 個人的には、1月に上司を含めた国連、報道関係者が、モンゴルのヘリコプター事故で亡くなったことや、別の上司が病気で逝ってしまったこと、身内が亡くなったこと、など不幸も重なったので、改めて人生のはかなさ、人の死についてずいぶんと考える機会がありました。
 辛く悲しいニュースだけでなく、もちろん良いこともそれなりにたくさんあった年だったなあ、と思います。

 小さいころは、ノストラダムスの大予言に怯え、1999年に世界は滅びると思っていたのですが、未だ世界は崩壊せず、幸いにして2002年を迎えられそうですね。
 来年が皆様にとって、素晴しいものとなるよう、少しでも世の中の不公平が是正されて、人の苦しみが減り、みんなが幸せな気持ちになれるよう、願って止みません。どうぞ良いお年をお迎えください。来年もどうぞ宜しくお願いします。





その45  小さな親切 (2002.1.7)

 昨晩、かりんの母(かりんママ)がジュネーブにやってきました。かりんママがジュネーブにくるのは、一年半ぶり。前回の訪問は夏だったので、今回は冬のジュネーブデビューです。
 でも、今回の「ひとりごと」はかりんママの話ではありません(笑)。かりんが空港で母を待っているときのお話。

 到着ゲートで母がでてくるのを待っているときのことです。突然、中国人の若い女性が近づいてきて、中国語で話しかけるのです。困ったかりんが、英語で「中国人じゃないので、よくわかりません」と答えると、実に悲しそうに、「ごめんなさい」と背を向けるので、「英語で話せますか?」と聞き返しました。
 すると彼女は「携帯電話を貸してください」というのです。かりんが、しばらく前に電話をしていたのを見ていたようなんですね。訳がわからないので、「なんで?」ときくと、迎えに来るはずの人が来てない、とのこと。。。
 よくよく話をきくと、生まれて初めて中国からはるばるスイスに3年の予定で留学しにきて、今日着いたのだけれど、迎えにくるはずの学校関係者がいないので、学校に電話して迎えの人が来るのかどうかききたい、という事情だったのです。
 彼女が学校の電話番号をみせてくれるので、かりんが電話したところ、「そのうち、あと5分くらいで迎えがつくだろうから、そこで待つように」というので、しばらくかりんも一緒に待っていたのですが、困ったことになかなか来ないのです。彼女も非常に不安そうで、片言の英語でひどく緊張している様子を伝えてきます。
 二人で困っていると、かりんママがゲートからでてきました。かりんとしては、彼女が迎えの人に出会えるかどうかも非常に気になったのですが、長旅で到着した母のことも気にかかり、結局そのまま彼女に挨拶して母と一緒に空港をあとにしました。

 実はこれがいまでも、すごーく心残りだったりします。思い出して見れば、かりんも初めてアメリカに留学したとき、語学学校の関係者がちゃんと空港に迎えにきてくれるかすごく不安だったんですよね。その気持ちを考えたら、母に事情を説明して、もうしばらく、彼女の迎えが来るまで一緒に待てばよかったかな、と今さらながら後悔したりして。彼女はどうしただろう? と今日も度々思い出してしまいました。
 たしかに、知らない国にひとりで留学すると決めたのだから、こういうハプニングも自分で切り抜けていかなくちゃいけない、という議論もあるでしょうし、そう考えたら、かりんはできる範囲のことをしたのだから、あれでよかったのかもしれません。それにしても、ちょっと気になるんですよね。。。皆さんだったらどうしてますか?

 親子や友達、職場関係の人など、明日も逢えること、いつかまた逢えることがわかっている相手だったら、あとでごめんね、と謝ったり、次に同じような、反省してしまうようなことがおこらないように、注意しておつきあいを続けていくことができます。
 でもこういう通りすがりの人の場合、まず二度と逢うことがないでしょうから、謝るわけにもいかないし、次回、親切にする、というわけにもいきません。こういうとき、「後悔先にたたず」と思うし、「一期一会」ということを考えます。彼女に逢うこも、多分これからさき二度とないことだろうから、優しくできるときにしておけば良かったなあ、と思ったりするのです。
 どういう形の親切を彼女が望んでいたか、はまた別問題ですけど。

 どんな状況、どんな相手であれ、相手が何を望んでいるかを敏感に感じる、ときに想像する能力、そして相手の望んでいることをして望まないことはしない、ということ、これは優しさ/親切の基本ですよね。かりんもまだまだだなーと感じた経験でした。