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もじ放送
 連載小説 毒にも薬にもなった男 愛々愛子

今までの話 
1(VOL1〜10) 2(VOL11〜20) 3(VOL21〜30) 4(VOL31〜40)
5(VOL41〜50) 6(VOL51〜60) 7(VOL61〜70) 8(VOL71〜80)

 VOL91

「私たちもう、一緒にいない方がいいのかもしれないね」
 ユウの骨ばった手が、私の手に重なった。
「そうだね」
 ユウはおだやかな表情をしていた。
「結局俺、百合菜に会ったときから兄貴を殺そうとしてたんだもんな。ずっとずっとそう思い続けて……。結局思い描いていた通りに、兄貴を殺した。別に後悔はしていない」
「うん。解るわ」
「凶器を抱えた俺と、一緒な時間を過ごしてくれてありがとう」
「ううん。今、お別れしようとするのは、凶器を捨てたあなたにつまらなさを感じたから……」
 もちろん嘘だった。本当はずっとずっと、これからは余計に側に居たかった。でも居てはいけない気がしていたのだ。
「変な奴」
「変で結構」
 午後の井ノ頭公園。ゆらゆらと、川の水面が光っていた。太陽が反射して、虹色を放っていた。
 この、風景は……どこか懐かしいような……。一度見たことがあるような……。

「素敵な二人ですね。記念に似顔絵描きましょうか……」
 公園で、キャンバスを広げていたのは、
「お姉ちゃん?」「イズミ……」
「人違いじゃないですか? さあ、座って。あなたたちは特別素敵なカップルだと思ったから、画家魂を揺すぶられちゃったんです。時間大丈夫ですか?」
 大丈夫かどうかなんて、聞いていて聞いてないも同然だった。絵描きはさらさらとデッサンを始めた。人違いのわけがなかった。今、デッサンを始めたのはお姉ちゃんだ。
 静かに時は流れる。今すぐにでも眠れそうな、うららかな季節。かすかな土の匂いと、お姉ちゃんの優しい香水の匂いが混ざり、いたたまれない気持ちになる。
 こんなところにいたんだ。ちゃんと地に足をつけて、おねえちゃんはおねえちゃんのまんまなんだ。
 どこかで見た風景だと思ったのは、ユウが撮ったビデオの中と同じシチュエーションだったからだ。いつか私がひどく嫉妬した、あのスクリーンの中のおねえちゃん。きっとロケをしたのは、ここだったんだと思う。
 おねえちゃんは、何度も消しゴムでデッサンを消していた。
「違うわ。違うわ……」と言いながら……。
「何が違うんですか? そんなの、適当でいいですよ。写真じゃないんですから、そっくりじゃなくても味があれば……」
 私はキャンバスを覗こうとした。
「嫌、見ないで!」
 お姉ちゃんが隠そうとしたキャンバス。そこにはユウと、お姉ちゃんの姿が描かれていた。

 リセットするのは、今しかない。
「さよなら。私は、大丈夫だから!」

 私は2人のために、自分のために、駆け足で公園をあとにした。きっと二人ならやり直せる。「おねえちゃんに初めて焼きもちを焼かれた。おねえちゃんが、初めて私を羨ましいと思ってた……」それは勝手な思い上がりかもしれないが、それで良かった。

 ユウと出会ってからの日々。それは、スクリーンの中の出来事。夢だっただろう。 映画女優なんて、最初から無理だったのかもしれない。事務所に帰ったら、次の仕事はあるのだろうか……。
 夢から醒めて、現実的な悩みが押し寄せて、急におなかが空いた私は、公園近くのアイスクリーム屋に駆け込んだ。
END



 作者あとがき
 生きていると、どろどろした気持ちがいっぱい沸いてきます。それがは嫉妬であったり、度を超えた愛情であったりするわけで……
 そういうものを、きれいな主人公たちを使って描きたいと思っていました。
 今回の小説は、自分自身もどろどろの感情の中書いてきたので、もう、出口が見えなくなってしまい、非常に苦しみました。
 長い間おつきあいください、どうもありがとうございました。また、どこかで……

 かしこ


御意見・御感想は  まで! 愛々愛子さんへ直接届きます。

皆様からの感想は作家にとっての何よりの元気のクスリ。よろしくお願いします。
 

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VOL81

 照り付ける太陽の下、私の上には日傘があった。
「アクション!」
 映画はきょうクランクインした。初日のきょうは、そんなに出番は多くない。

「百合菜さん、入られます」
 これが正真照明、私のデビューカットになる。
 ミキヤと河原を散歩するシーンだ。何気ないシーンこそ難しい。感情的に怒りをあらわにする場面のほうが、よっぽどやりやすいなあと思う。

 野外ロケのため、野次馬もちらほらと見られる。野次馬を見る度に、自分が悪口を言われているような気がするのは、自意識過剰なのだろうか。
「ほら、あの新人」
「ああ、でこに灰皿投げられた?」
「そうそう。ああ、これ。あの問題になったオーディションの映画なわけ?」
「現場にオーディション受けた奴、やって来たりしてな…。次、灰皿投げられたら、でこ割れるよな…」

 実際あってもおかしくないような会話が、勝手にひらめいてしまう。

 おでこの傷は、前髪を降ろしてしまうことで、気にならないレベルのものだ。撮影にはとりわけ響かない。

「はい、カット!」
「いいよ、百合菜ちゃん。そんな風に自然な感じで行こう。とりあえず、デビューカットはOKだよ」
「ありがとうございます」

 この映画を見た人は、このシーンを物語の中にあるべきワンシーンととらえるのだろう。
 でも、私がいつかこのシーンを見るとき、私にしか感じられない思いで思い返すのだろう。
 風の匂いや、現場の空気や、そのとき気にかかっていた些細な心配ごとなどを、とりとめなく思い出してしまうのだろう。

「百合菜ちゃん、いいじゃない」
 あったかいコーヒーを持ったミキヤが近づいてくる。
「まだ、1カットしか撮ってないじゃない」
「監督にもあっさりOKもらっちゃってさ」
「ああ。あれはキャストを調子づけるための監督の作戦でしょ」
「人間、第イチ印象がイチ番大切なの! 最初こける奴は、そのあともなかなかうまくいかないって!」
「うーん。ぼうっとしている間に過ぎ去ったシーンだったっていうか……。よけいなことを考えてた分、芝居がわざとらしくならなかったのかもしれないね。自分でもこんなんでいいのかな……とは思うけど」
「結果オーライでしょ。次は、今よりセリフ多いシーンだぜ。百合菜ちゃんがこけると、俺までこけちゃうからさ。今の感じでしっかりやってよ」
「しっかりね……。うん、しっかりしながら気楽にやってみる」
「うん、気楽にね」

 紙コップに注がれた熱めのコーヒーを口にしつつ、野次馬が集まっている方向に視線を向けてみた。ふと、私の目にとまったのは、ユウの姿だった。
 ユウの視線は尋常ではなかった。ユウの瞳は、氷のような冷たい色をし、ただ一点、ミキヤがいる方向を見つめていた。(VOL82へつづく)


VOL82

「ねえ、ミキヤさん。あそこにユウがいるんだけど……」
「えっ?」
「気付かなかった?」
「ああ……」
 ミキヤはユウに向かって手を振った。一瞬、ユウの視線がやわらかくなったように見えた。が、それはただの愛想笑いのようにも見えた。
「ユウはよく、ミキヤさんの現場には来るの?」
「いや、来ないよ」
「そうかな……」
「どういう意味?」
「ミキヤさんが気付いてないだけで、ユウはよくミキヤさんのことを見ていたのかもしれない」
「ミキヤが俺を?」
「そう、私がユウに初めて会ったのは、ミキヤさん、あなたのライブ会場でのことなの。そのときも同じ。ユウはあなたのことを凝視してた。恐ろしいくらいに冷たい目でね。
 私はあの時ミキヤさんにすごく憧れていたわ。もちろん今でもそうだけれど……。でも、あの時の私は、舞台の上にいるミキヤさんと何の接点もない観客のひとりだったんですもの。そんなミキヤさんと同じ顔をしていたユウにびっくりしたわ。ミキヤさんは手の届かない人だけれど、ミキヤさんと同じ顔をしたユウはそのとき私の手の届く場所にいたの。ただ、距離的に、ということなんだけれど。
 だから私は迷わず、彼に声をかけたわ」
「そしたら、俺と兄弟だった……」
「そう。驚いたわ。血のつながりがあるんですもの。似ていて当たり前なのよね。それにしてもすごい確率なんだけどね」
「運命……だったんだ。きっと」
「運命。そうね。使い様によっちゃあ、陳腐に聞える言葉だけれど、確かに私たちは運命だったのかもしれない。
 最初はミキヤさんへの憧れから始まったのは確かなんだけれど、今はどちらに気をとられているのか、自分でも分らない。ミキヤさんが好きなのか、ユウが好きなのか……。どちらも好きなことには変わりはないし、今のままでも十分幸せだし……。
 最初から私は、ミキヤさんと「話」が出来るようになることが夢だったの。眩しくて大好きな人に口を聞いてもらいたい。そんな願い事が、案外早く叶ってしまった。そして、私は長年夢だった女優にもなれた。願ってたことが、怖いくらいにどんどん形になっていってる。
 私は身体がひとつになることよりも、私の存在がミキヤさんの中に沁み込んでもらうことの方が重要なの。身体なんて、愛情がなくても、私じゃなくても、男と女であればつながってしまうものでしょう?」
「………」
「ミキヤさんだって、きっとそう。自分のことを求めている女の子がいれば、手を出さないことはないでしょう。性的欲望のはけ口となるだけなら、あとでむなしさだけが残るもの。憧れている人に抱かれたいのは山々だけれど、私はそれ以上のことを望んでいたの。精神的につながっていられることの方が、よっぽど重要なことのような気がするわ」

「百合菜さーん。出番です。スタンバイお願いいたしまーす」
 遠くで監督の声が響いている。
 私は休憩場でコーヒーを飲んでいるミキヤを置いて、監督の元へ駆け寄った。(VOL83へつづく)



VOL83


「私が守ってあげるよ。ずっとここにいてもいいから」
 捨て犬を拾って胸に抱きしめる。そんなワンシーンの撮影だった。
「………」
 監督のOKが出ない。
「うそつき。何も守れなかったくせに」
「えっ?」
「何も守れなかったくせに」
 空耳ではなさそうだ。確かに私を見くびるような声が聞えた。

 そのとき、出演者の休憩所で大きな爆発音が聞えた。
 ドドーン…
「火事だ」
 火が放つなまぬるい熱さは、撮影現場にまで届いていた。大きな煙。大きな炎。
 今さっきまで私がミキヤとコーヒーを飲んでいた場所が、火の海と化している。

「百合菜! 逃げろ」
「監督! ミキヤさんは?」
「分らない。とにかく、お前は逃げなさい。火傷したら洒落にならない」
「洒落? でも、もしかしたらあそこで何人か死んでるかもしれない。さっきまでは少なくともミキヤさんと、スタイリストさんと、VEの青木さんと……」
「ごちゃごちゃ言ってないで。逃げなさい」

 ごおっと、火はますます勢いを増して行く。

「復讐だ」
 また、空から実態のない声だけが聞えてくる。どうも私にしか聞えていないようだ。
「えっ?」
「これは復讐なんだ」
「ユウ? ユウなの?」
「兄貴が悪いんだ。あいつの人生を、奪った兄貴が悪いんだ」
「ユウ?! 何なの? わけを話して」
「たっぷり話してやるよ。兄貴の命と引き換えにな」
「ミキヤさんは死んだの?」
「多分な。黒焦げだろうな。お前は何も守れなかった、ただのうつうつとした女なんだ。過去を引きずってる振りをして、誰かを守ってあげられるような思わせぶりな態度をとっておいて、結局何実になってることなんて、ひとつもない」
「『守れなかった』って何のこと?」
「お前のことだよ。お前は結局何も守ってないんだ。ずっと引きずって連れてきた遺体のお母さんのことも、黒焦げになって死んでいった兄貴のことも、そして、あの夜横浜アリーナから連れ出した俺のことも……何もかも、そう何もかも守ってないんだよ」
「何もかも……守ってない……」
「そうだよ。強そうなこと言ってさ、結局兄貴が大切なのか、俺が大切なのか、自分が大切なのか分らない。あんたのやってることは全部中途半端で、自己防衛にしかなっていない。守れる力がないなら、最初から思わせぶりなこというなよ」
「えっ?」
「あいつは、そうじゃなかった」
「あいつ?」
「そう、お前はあいつの生き写しかと思って期待した、俺が馬鹿だったよ」
「あの、夏の日、ユウの家のスクリーンに映ってたきれいな女性?」
「気丈な目とか、強がりな態度とか、あの日横浜アリーナから俺を連れ出してくれたあんたは、一瞬あいつかと思ったくらいだった。期待外れだったけどな」
「期待外れ……」(VOL84へつづく)



VOL84


「生き写しかと思った。あのときの、百合菜は……。俺、先にも後にも『女が側にいてくれなきゃ駄目だ』と思ったことって、あいつのときしかなかったんだ。
 可憐な女だったよ。もう会えないと思えば思うほど、思い出はどんどん美化されていくから、やりきれない……。強くて、弱くて、正直で、全部全部自分で背負ってしまう奴で。今はもうどこに行ったか分らない。たぶん死んでしまったんじゃないかって……。そう思う」
「どうして別れてしまったの?」
「兄貴が、孕ませたんだ。あいつ、兄貴の子供を妊娠したんだ」
「………」
「あの時は、マイムマイムのバンドが結成されたばっかりの時期で、俺はギターやってたんだ。兄貴はボーカルで、他に2人。ベースとドラムは今のメンバーと一緒だった。
 作詞、作曲はほとんど俺で、インディーズでも王者と呼ばれ、対バン(同じステージにのる対のバンド)の客も全部持ってく勢いがあった。もう、大手レコード会社からもバンバンスカウトされてたよ。
 あいつは、インディーズのころから、マイムマイムの世話してくれてた子で、なんか風みたいな存在の、やさしくてやわらかな子だった。あいつが横にいれば、頭ん中からリズムや言葉が涌き出てきて、すっげえやりやすかった。
 俺と付き合ってたけど、兄貴も含めバンドの仲間にも分け隔てなく気遣う奴で、そういう意味でも結構やりやすかったね。
 そんなときにあいつ、妊娠したんだ。
 ふつうなら一度きりの過ちで済んでしまうところだった。たとえ、それで妊娠しても堕ろすか、産むか何らかの選択肢はあったと思う。
 兄貴と殴り合いのケンカでもして、あいつとしばらく距離をおいて頭を冷やし合えば、また新しい一歩が踏み出せるときは、早かれ遅かれ来るはずだったんだ」
「どうして、永遠の別れに?」
「あいつが、抱え込みすぎたんだ。誰にも相談せずに、あんな恐ろしいこと……あんな、あんなこと……」

 それは、いつものバンド練習が終わった夜のことだった。俺はあいつの部屋でくつろいで、作詞して眠ろうと思ってたんだ。
 合鍵であいつの部屋に入ろうとした。まさか、あんな瞬間に出会うとも思わずに……。

「ごべんなざいー。いずびをゆるしてー(ごめんなさい。イズミを許してー)」
そいつ、泉って名前だったんだけどさ、聞いたこともないような声がドアの外まで聞えたんだ。慌てて鍵を開けて部屋に入ると、もうそこは地獄絵図だった。
 昔、戒めのために、寺で恐ろしい画を見せられたことはあったよ。大きな鍋で炊かれてる人間とか、鬼に見張られながら針山に登らされる人とか……。
 でもそれはどこか、あり得ない世界のことのような気がしてた。少なくともこの現実世界では起こり得ないことだった……。
 でも、現実世界でも地獄はあるんだって、あのとき初めて実感したよ。
 泉のやつ、刺身包丁自分の腹に突き刺して、子供を堕ろそうとしてたんだ。

「イズミ! イズミ! 何やってるんだ!」
「わだしが、わるいど。(私が悪いの)。ゆぶをうだぎったから、わるいど。(ユウを裏切ったから悪いの)」
「どうした? 気でも違ったのか? 生きろ! 死んだら駄目だ!」
「いいの。こど子も死んじゃっだんだかだ、わだしも死んじゃえばいい。(この子も死んじゃったんだから、私も死んじゃえばいい)」
「この子?」
 そのとき初めて、俺はイズミが妊娠してたことを知ったんだ。(VOL85へつづく)



VOL85

 そうしてイズミは俺の目の前で、もう一度、腹を刺身包丁で突き刺したんだ。
 イズミの部屋のベージュのカーペットは真っ赤に染まってて、イズミ自体も血まみれだった。手も、足も、服も、目も……涙と血でぐしょぐしょで……。でも、あいつ意識だけはしっかりしてたんだ。ちゃんと理路整然としゃべるんだ。

「ユウ、信じて。私が愛してたのは、あなただけなの」
「子どもって何のことだよ。妊娠してたのか?」
「あなたの子だったらこんなこと、こんなことしてない」

 確かに、あのころの俺は、避妊してイズミを抱いていた。俺の子を妊娠するはずはなかったんだ。

「誰の子だ?」
「言えないわ。ただ、同意の上での行為じゃなかった。レイプだった。だから、赤ちゃんが大きくならないうちに、おなかを切って取り出さなくちゃと思って……」
「イズミがそんなに苦しむことじゃないじゃないか。こんなになって、こんなになって……。堕胎することだって、出来たじゃないか。こんな……とんでもないことして……」

 そのとき、俺が呼んだ救急車のサイレンの音がイズミのマンションの前で止まった。

 救急車の中は静かな戦場だった。
 腹は真っ赤な血に染まっているのに、イズミの顔は時間が経つにつれて、どんどん青白くなっていくんだ。

「ユウ、あなたのことが、とても好きだった。ユウ、あなたの作る唄が、とても好きだった」
「何でそんな言い方するんだよ。最後みたいな言い方すんなよ」
「毎晩夢を見るの。ユウを裏切った罰として、赤ちゃんが日に日に大きくなっていく夢を見るの。ふつうは10ヶ月で赤ちゃんが産まれるのに、私は妊娠が分かってから10日間で赤ちゃんが産まれてしまう夢なの……」
「それで、こんなことを!? イズミが裏切ったわけじゃないじゃないか」

 そのときの俺は、とにかく目の前のイズミの状態が心配で、イズミをここまで追いやった男のことを考える余裕なんてなかった。
 集中治療室の前で待つ時間より、長く感じた時間はないよ。
 あのときの俺は、イズミが自分の前からいなくなることが、一番怖かった。なんか、どこか遠くへ行ってしまいそうで、イズミが俺から離れて行ってしまいそうな気がして……そんな動物的な勘は、やっぱり当たってしまうんだけど……。

 とりあえず、俺はどこも行かずにイズミが病院にいる間は、ずっと付き添ってた。ことがことだけに、あんまり大きくしたくなかったから、バンド仲間にもくわしいことは話せなかった。
 イズミがレイプされたことも、ましてや刺身包丁で腹を刺したことも、誰にも言うべきではないと思ってたんだ。
 ずっとイズミの病院に泊まりこんでた俺はバンドに顔を出せなくなってきてた。そのころのバンドはちょうど波に乗ってる時で、メジャーデビューのレコード会社も決まりつつあるときだったんだ。(VOL86へつづく)



VOL86


「ユウ、お前今が一番大切なときだってことは、分るよな」
 俺がイズミの病院に入り浸りだったときに、ミキヤから電話があったんだ。
「俺ら何のために今までやってきたんだよ。今からってときに、どこで油売ってんだよ。曲づくりも作詞も今まで以上のペースで仕上げてかなきゃ、プロモーション出来ないんだよ。チャンス逃がすなよ」
「ああ……」
「ああ……じゃねえんだよ。メジャーがかかってんだ。この波に乗るか乗らないかで、俺らの人生が変わるってんだよ。ギャラが違う。まわりの扱いが違う。付き合える女も選び放題だ。何もかもが変わってくんだよ」
「ああ……」
「何、気の抜けた返事してんだよ。はやく来いよ。じゃなきゃ、とりあえず体裁として、適当なメンバー募って頭数だけ揃えるからな」
「ああ、行くよ」

 それから数日後に、レコード会社への挨拶があるって聞いたんだ。一応、新しい曲持って指定されたスタジオに行ったらさ、もう俺の居場所はなかったんだ。新しいギターの奴が用意されててさ。そいつも今まで別のバンドでやってきてたのに、こっちの方がおいしいと思ったんだろうな。まるで結成当時から、マイムマイムにいましたって顔して、どかねえんだ。

 そんとき、ミキヤが一言吐き捨てたんだ。

「俺は、マジでメジャーに行きたかったんだ。今、ここでトラブル起こして面倒なことにしたくない。大事なときに、俺らを捨てたのはお前だ。言いたいことは、分るよな」

 もう、どうしようもない状況だったんだ。そん時は、俺もイズミのことで一杯で、あのイズミの真っ赤な血のことでいっぱいになってて、そう言われても「そうか……」としか答えようがなかったんだ。
 メジャーを目指して、小さいライブ会場で狂うようにライブやってたときの熱い気持ちなんて、もうどっか遠くに飛んでいってしまってたんだ。

「わかった。降りるよ。自業自得だよな……」

 そん時は、もう仕方ないと思ってた。メンバーや、何食わぬ顔で居座ってるギターの奴を見ても、怒りなんて込み上げて来なかったんだ。メジャーになって、俺の顔も世間に出れば、イズミもさらしものになる可能性があると思ったんだ。「マイムマイムメンバーの女が、レイプで切腹自殺」なんて言われたら、もう、イズミはほんとに死んでしまうんだろうな……と思ってたんだ。

 イズミには、もう何も聞かないでおこうと思ってたんだ。とにかく、静かに見守るのが一番だと思ってた。もう、バンドに出る理由もなくなった俺は、イズミの看病しかすることがなくなってた。
 そんな夜、苦しそうにイズミが寝言を言うんだ。

「ミキヤさん、やめて! ミキヤさん、やめて!」(VOL87へつづく)

VOL87


「ミキヤ!?」
 そのとき俺はピンと来たんだ。イズミを犯したのは、ミキヤなんだ……って。俺は悪いな……と思いつつ、寝ぼけてうなされているイズミに話しかけたんだ。
「やっぱりミキヤだったのか……」
 イズミの奴、声をかけたのが俺だって分らないくらいに、うなされてた。
「うん。でもユウだけには言わないで。ユウにばれるくらいなら、私死んだほうがいい」イズミの奴、そう答えたんだ。

 イズミが病院からいなくなったのは、次の日の昼下がりだった。

 あの日のことは一生忘れない。人生で一番悲しかった日にも関わらず、天候は今までの人生の中で一番うららかな日だったような気がする。
 ポプラ並木がそよ風に吹かれていて、雨上がりの空には七色の虹がかかってた。空気が生暖かくて、それがまた心地よくて、俺はイズミの病室の簡易ベッドでうとうとしていたんだ。

「イズミ、散歩でも行く?」
 そんな俺の問いかけに、イズミは答えてくれず、ベッドはもぬけの殻だったんだ。
「イズミ? イズミ?」
 トイレでも行ったのかな……と思ってたが、いつまで経っても帰ってきやしない。

 それと引き換えに、真っ白な封筒が机の上に置かれていたんだ。


「 ユウへ。
 
きのうは嫌な夢にうなされて、そのときユウが側にいてくれて……
私は本当のことを口走った。
ミキヤさんのこと、本当だったの。あなたの元を旅立つ私は、嘘はつきたくない。
半分うなされたふりで、私はあなたに告白をした。
 
あなたの音楽の側にいられて私は幸せだった。ユウ、あなたと、あなたの才能に私は
苦しいほど惚れてたわ。もう、バンドに戻ってほしいの。私が馬鹿なことをした後
も、ユウが側にいてくれたのは、とても嬉しかったけど。

私がいなくなれば、あなたには音楽しか残らなくなるでしょ。だから消えます。

最後に、ミキヤが私を犯したのは、あなたの才能に惚れていたからだと思うわ。私が
好きだったからでも何でもない。ひっくり返っても、あなたのつくるメロディーに適
わないことを知っていたからこそ、あなたのものだった私に興味を示しただけ。

だからあなたは胸を張ってバンドに戻ってください。
女は寝取れても、才能はあなたの頭の中にしかない。盗みようのないものだから……

                      さよなら   イズミ」

「イズミ、イズミ、イズミ、イズミ……!」

 病院の屋上、病院の庭……思いつく場所全てを捜しまわっても、イズミの姿はなかったんだ。
 夜になっても、明日になっても、あさってになっても、僕の誕生日が来ても、イズミの誕生日が来ても、1年経っても、マイムマイムがメジャーデビューを決めても……。
 イズミは戻っては来なかった。
 そして、俺抜きのマイムマイムはついにオリコン1位にランクインするまでのバンドになっていたんだ。(VOL88へつづく)



VOL88


 それから俺は抜け殻になった。戻る場所がない、やりたいこともない、愛する人もいない。半狂乱になって、いろんな物を壊しては、自分自身も壊れていった。
 精神病院に入れられてからは、もう何をしていたのかさえも記憶がない。ネジがとれたような人が、そこかしこにいて……。

「また、ナントカさんが便コネしています」なんていうのが、看護婦の日常会話なんだ。「便コネ」って言ってみればそのままの言葉なんだけど、自分のうんこをこねてるんだ。そんなおかしな環境で働いている看護婦なんかも、壊れていくのを目の当たりにしたよ。
 ここが自分の居場所ではないと思いながら、もう世間に出て行くことも出来なかった。
「新しい自分探し」なんてさわやかな方向に転がることなんて、到底無理だったんだ。それで思いついたのが「復讐」だった。

 ミキヤを殺してやろう。全国ツアーの最終日に、ファンごと殺してやろうと思ったよ。
こんな便コネをする奴らがいる精神病院よりも、刑務所の方が居心地がいいだろうってね……。もう、自分自身なんてどうなってもいいところまで落ちぶれていたし、一緒に火の海で死んでもいいと思ってた。
 アリーナ中火の海で、アーティストとそれに恋焦がれるファンが黒焦げになりながら死んでいくなんて、芸術的だろ? そんな芸術的な舞台なんて、きっと歴史上に残るだろうな……。みんなが、ギャーギャーパニくる中、もし、ミキヤが最後までマイクを離さずに歌いきったら、俺は心の中で許してやってもいいと思ってた。死ぬ間際まで、観客に夢を与えきったら、俺は、そうこれは勝手な俺だけの価値観だけれども、許してやってもいいと思ってた。

 そして、あの日、あんたに出会ったんだ。
 ライブ中に倒れた俺を抱え込んで、「もうライブはいいから、あなたの側にいたいの」なんて言いやがる。
 そのうち俺の財布から免許証を抜き取って、「ユウ」なんて呼び捨てにしやがったんだ。失礼極まりないなんていいつつ、俺はどっかあんたに懐かしさを覚えたんだ。かわいいやつだと思ったよ。

「えっ? 私がかわいい?」
 私は少しおどけてそう言った。

「おう、かわいかったよ。暗いから目の錯覚かと思ったけど……」
「失礼ね」
「俺の理想の女に近かった。ただ、ミキヤのファンということを除いては……。イズミは俺のファンだったんだ。ミキヤではなく、俺の才能を信じてくれていた。あんたがイズミと違うのはそこだけかもしれない。あとは、顔も、そして何より声がイズミに似てる」
「イズミさんは、どんな人だった?」
「日溜りのような女性かな……会えなくなってからは、ますます美化されていくし」
「日溜りか……。きれいな表現だね。とてもよく合ってる」
「合ってるなんて、分るかよ」
「イズミお姉ちゃんは、私の憧れでもあったの」
「えっ?」
「あなたの付き合っていたイズミさんは、私の種違いの姉なの」



VOL89


「初めてユウの部屋でビデオを見たときは、心底びっくりしたわ。おねえちゃんは私の憧れだった。おねえちゃんは、あのときの笑顔のままだった。きれいで、まっすぐで、賢くて……私はいつだっておえねちゃんには、かなわなかった。ユウの心をとりこにしてしまうのも、おねえちゃんの方が先だった……」
「百合菜……イズミのビデオ見たとき、気付いてたのか?」
「うん。おねちゃんだ……とは思ったけど、とても言えなかった。半分血が繋がっているとはいえ、おねえちゃんはおねえちゃんなんだろうな……と思ってたから。どんなに親友でも、どんなに恋人でも、それこそ家族でも……みんなそれぞれ個であるというか……。喜びは分かち合えても、悲しみや苦しみは、その人の中で解決しないことには、どうしようもないよな……と思ってて……。特におねえちゃんは、色んなこと一人で抱え込む癖があってね。結局、私はおねえちゃんのきれいな部分とか、やさしい部分しか知らないのね……」
「いつから会ってない?」
「おねえちゃんが、高校に入ってからかな……。おねえちゃん、すごく頭が良かったのね。『私立の一流高校へ行きたい』って、中学3年生の進路相談の時に家族に言ったの。そしたら、父親が『そうだよな。いずみはあいつの血を引いてるから、頭いいんだよな』って言ったの。それからかな、おねえちゃんがいなくなってしまったのは……」
「その時、はじめて知ったのか?」
「うん。おねちゃんも私もそのとき初めて、半分しか血が繋がっていないことを知ったの。簡単に言えば、母は父の直属の上司と不倫をしていて、おねえちゃんを宿したの。上司は自分の家庭が壊れるのを必要以上に恐れていた。だから、『どうしても産む』と言い張った母のことを、殺そうとしたって……。ちょうどそんな時期に父は母にプロポーズをしたの。母は事情を全て父に告白したの。それでもいいって、その子も自分の子だと思って育てるから……って言って結婚したらしいの」
「じゃあ、上司の子がいずみで、その父親の子が百合菜」
「そう。カッコいいのに。一生黙っていれば、私の父はとてもカッコ良かったのに……。途中で負け惜しみをいうところが、負けてるよね。会社でその上司と父はちょうど折が悪くなってたみたいで。上司は残るのに、自分はリストラの対象になってることが、むしゃくしゃしてたみたいなのね。それであんな憎まれ口を……。小さいころからずっと一緒にいるから分るんだけど、父がおねえちゃんを愛してなかったってことはなかったと思う。父はちゃんとおねえちゃんを愛していたわ。おねえちゃんより私のほうが少しだけ可愛がられてたのは、多分私が下の子だからだと思ってた。あの日まで、私もおねえちゃんもそう思ってた」
「そう……」
「母はどっちも分け隔てなく可愛がっていたわ。おねえちゃんが私学に行きたいっていうのなら、そうさせてやりたいって……」
「その後は?」
「義務教育の期間はどうしようもなかったみたいだけれど、希望通り私立の高校へ行ったおねえちゃんは一人暮しをしたいって言い出したの。ゆっくり一人で考えたいし、勉強も生活もちゃんとするから……って。父はそんなことする必要ないって反対した。でも母はおねえちゃんの好きにさせてやりたいって、パートを始めたの。そのお金を全部おねえちゃんに仕送りしていたわ。『私のせいだ、私があの子を産んだせいで、あの子は苦しんでいるんだ……』ってね」
「そのころなんだな、俺がいずみと出会ったのは……」
「そうなんだね。おねえちゃん、ユウのことすごく好きだったんだろうな。今まで、おねえちゃんはいっぱい男の子から告白されてたけど、全部断ってたもん。私が『いいな、おねえちゃんは……私もモテてみたい』なんて言ったら、『一人の大切な人に思われるほうが、大切なのよ。百合菜はそういう人いる?』なんて言ってた」
 それを聞いたユウは、心なしか嬉しそうだった。(VOL90へつづく)


VOL90

「お姉ちゃんが出ていった後、私、お姉ちゃんが何をしていたのか全く知らなかった。でも今、お姉ちゃんはユウに会えて、お姉ちゃんのままで生きていたんだな、って……それが分かっただけでもよかった」
「そうだな。めちゃ明るい子だったよ。背景に闇のような暗さを抱えていた分、その明るさが際立ったのかもしれないな」
「うん……。実はそのあと、お母さんが急に死んだの。お姉ちゃんのことを思っての自殺だった……。私が産んだのが悪かった……って。産んだのは私のエゴで、お姉ちゃんには関係ないのにって。私、羨ましかったな。今まで父親だと思っていた人が、そうじゃなくて傷ついたかもしれないけれど、お姉ちゃんは確かに愛されていたんですもの。母親にも、そしてユウにも。お姉ちゃんはモテなくてもいい。一人の人に愛されればそれでいいって言ってたけど、一番大切な人2人から、命がけで愛されていたんだな……って。私が思う、生ぬるい幸せなんかとは、全然違う。もう、見てる方向すら違うんですもの……」
「百合菜だって、ちゃんと愛されてるさ」
「ううん。愛なんて、求めれば求めるだけ逃げて行くものなの。お姉ちゃんは、「愛されてる」ことに無自覚だった。羨ましいくらい、自覚してなかった。いつも、自分にとって大事なものを守る、そういう人だった。私も、お姉ちゃんのようにピンと背筋を伸ばして生きなくちゃ……」

 ピーポー ピーポー
 近くまで救急車が来ていた。ついでに、どこから情報を仕入れたか知らないが、多くの報道陣も詰め掛けてきていた。
「ミキヤが黒焦げになってるって、ホントですか?」
「オーディションに落ちた女が、腹いせに放火したってホントですか?」
「命に別状はないんですか?」
「どんなシーンの撮影中だったんですか?」

 マスコミのがせ情報には、ユウの名前が出てくる由もなかった。きっと、誰も分らない。
「マイムマイム・ミキヤが映画ロケ中に火災で死亡」
「ミキヤを妬んでの放火が原因か?」
「ミキヤ死亡 謎の放火犯の素顔に迫る」
 新聞の見出しは怖いくらいに頭に浮かんでくるが、結局この話は解決の糸口を掴めないまままに、いずれ葬られてしまう話だ。

「ミキヤは、ユウの才能には敵わないことを知ってた」
「イズミは、本当の親父に育てられてる百合菜と自分を比べて悲観してしまった」
「ユウは、イズミお姉ちゃんを犯したミキヤのことを許せなかった」
「百合菜は、いつまで経ってもイズミに敵わないことを知ってた。そして、お母さんを……お母さんの死体を部屋に入れて、いつまで経っても『お姉ちゃんより、私を見て』って懇願している……」

「哀れだよね。みんな、自分の持ってるものを大切にすることから始められれば、こんな悲劇は起こらなかったのに。いつも、自分の幸せを守ること以上に、他人の幸福を妬んで、羨んでしまうから……」
「人間って所詮そんなもんなんだろ。だから人間なんだろ」
「そうね……」

 次の日のスポーツ誌の1面は、大きく「ミキヤ、不審火でロケ中に死亡」とあった。(VOL90へつづく)